「新潮」10月号に写真家・橋本貴雄さんのエッセイが掲載された。とても橋本さんらしいエッセイだった。その橋本さんらしさ、を簡単には言葉にできないので書いてみる。
エッセイには8月6日のことが書かれている。広島の原爆記念日である6日は、新宿ニコンサロンでの橋本さんの写真展「風をこぐ」の最終日で、この日、私はニコンサロン の会場で橋本さんと話をした。
話の内容は部分的にうろ覚えだが、6日の午前中、日本での滞在期間中は身を寄せている家で原爆記念日の追悼式をパソコンの画面越しに見ていたという橋本さんは、こんなことを考えたようだった。77年前の原爆投下に心を寄せ、目を瞑り首を垂れて黙祷を捧げる人たちは、胸の内でどのようなもの(イメージ)に触れているのか、今日、私たち(当時、広島で被爆した当事者ではない)がそれに触れることができるのはなぜなのか。
その話を聞いてから、ぼんやり考えていた。もし、原爆にまつわる(記録を含めたあらゆる形態での)表現を見たり聞いたりすることがなければ、私は自分の内部からそのイメージにふれたり、身に起きたことのない事柄に対して自分の経験や自分が見た風景を重ね合わせたりするようなことはできないだろう。被曝3世であるという橋本さんはエッセイの中でその時刻に黙祷し、原爆で亡くなった身内を思い出し、幼少期の思い出を想起している。
原爆のような歴史的惨事はもとより、日常の風景や記憶であればなおさら記録したり表現したりしなければ、連綿と連なる日常にそれは沈殿し【離れていってしまう】。喜びも悲しみも、二度と触れたくない悲劇も、離れていってしまわないがためになされた誰かの切実な表現を前にして、人は何かに触れたりする(極私的でパーソナルな表現が無限の他者にひらかれる)。
エッセイでは5日の午後を過ぎて、橋本さんの写真展の会場(新宿ニコンサロン)に来られた男性のことが書かれている。男性は車椅子を使われていた。会場を回ったあと橋本さんにこう声をかけたという。【犬はいつも一生懸命で偉いよな、人間は文句ばっかりいってるなぁ】。
写真集「風をこぐ」に収録されたエッセイを読むと、橋本さんが少し複雑な環境の中で幼少期、青年期を過ごしてきたことがぼんやりと想像できる。思春期に孤独や悲しみを抱えながら、異国に渡ってからは生活の不自由さを抱えながら、毎日出かけるフウとの散歩は橋本さんにどういう風景をもたらしたのだろう。事故による後遺症で後ろ足が不自由なフウが、その不自由さを露も気にせず楽しそうに散歩をする姿は、もしかしたら不満に変わりそうな怒りや孤独をその瀬戸際で違うものへと転化させたかもしれない。
人は生きていく多くの時間を独りで越えていく。その時間に他者がふれることは本質的できない。もしそれがわずかに可能になるとしたら、独りの時間から搾り出された表現を通してかもしれない。それは人間の有限性や孤独から救われるための一つの道で、表現者が表現を続ける(鑑賞者が表現を見続ける)理由はそれぞれあると思うけど、橋本さんが表現を続ける理由の一つはそれなのかもしれない。自分の作品を見てくれた方の感想を、その方の人生や生活を聴くようにいつもまっすぐ耳を傾ける橋本さんの姿を思い出しながら、そんなことを考えた。
注【 】内の言葉、エッセイ「ふれる」の言葉より